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2009年8月4日火曜日

ヨコハマアパートメント/ON design

設計:ON design/西田司・中川エリカ
竣工:2009年
所在地:横浜市戸部
用途:集合住宅

僕たちもかつてお世話になった西田司さんの最新作、ヨコハマアパートメントを見に行った。
昨年11月にBankARTで行われた藤村龍至氏とのUrban commons展で1/10模型が展示されていたが、つい先日竣工(まだ少し内装や外構に工程は残っているが)し、イベントと展示を伴った内覧会が行われた。
横国出身者で結成された403architectureによる仮設資材インスタレーションと藤村氏を招いてのシンポジウムについての感想は割愛させて頂くとして、今回はこの建築について思ったことを書きたい。

この建物は野毛山動物園をこえたさらに先の古くからある住宅密集地の中にある。都市というドライな関係性よりももっと濃密な空気の流れる住宅地のなかに、隣家の軒先スレスレに真っ白いUFOが4本の脚をおろして着地したような不思議なたたずまいをしている。この建築の用途は4戸の集合住宅であるが、一番の特徴はなんといっても天高5mのピロティ部である。これは「才能ある若いクリエイターに活動の場所と住居を提供したい」という施主の熱意を受け、ON designがカタチにした結果現れて来たものだ。一階の共用部は半外部であるが、そこではアーティストの創作活動が行われるだけでなく、近所の人たちのコミュニティ活動などさまざまなことに使われる。まだ賃貸開始前だが早速大家さんによるヨガ教室が行われるようだ。
この空間でどんなことができるのか、それは事務所のスタッフでさえ手探りだ。今月から一ヶ月3人のスタッフがモニターとして入居し、使い方を模索していく予定だという。

前述のインスタレーションやシンポジウムなども、議論の内容こそ藤村さんがコントロールしようとしていたが、そもそもこの場所で行われること自体がとても面白い状況だった。なぜならここは「木造アパートの一階」でしかないからだ。
シンポジウムでは藤村さんが執拗にスタンスについて問うていたが、この建築はまさに西田さんのスタンスそのものを表している。「都市」よりもっと身近で濃密な「近所」へと開く。この建築がある場所は間違いなく横浜のローカルだが、おそらくメディアに乗って日本中へ問題提起していくだろう。それは即ち西田さんとON designの戦略でもある。

以前Y-PAC radioでインタビューしたとき、西田さんは「住宅はまちの中のなわばりである」とおっしゃった。住宅が個人のなわばりであるとすれば、この建築は4人の住民だけでなく、近所のすべての人々のなわばりであるとも見える。そうして「わたしのなわばり」だけでない、「わたしたちのなわばり」が増えて行ったとき、まちの姿は今よりもっと濃密で力強いものになっていくに違いない。



2009年2月1日日曜日

アーキテクチャと思考の場所

東京工業大学にて2009年1月28日に行われた公開シンポジウムが「アーキテクチャと思考の場所」である。
浅田彰+磯崎新+宇野常寛+濱野智史+宮台真司+東浩紀(司会)の6名による討論。
趣旨は、建築、社会設計、コンピュータシステムの3つの意味を併せ持つ「アーキテクチャ」というものについて、各分野の違いや類似性について考えながら、その現状と未来について考えるというもの。

濱野さんは、2000年以降に台頭してきたウェブサービスを「アーキテクチャ」の面から考察する自書『アーキテクチャの生態系』をまとめる形でプレゼンを行った。
その中で、建築物と比較する形で、ウェブのアーキテクチャには物理条件というものが存在せず、建築物の設計で必要となる「切断」、つまり物理限界がないということを繰り返し主張した。

宇野さんは、社会学サイドの「アーキテクチャ」についての最近の言論を簡単に整理した後、その問題点などを指摘した。
その中で僕が共感した点をあげると、「アーキテクチャ」を議論するうえで、その上に成立しているコミュニティのレベルの議論もまた同等の重要さがあるという点である。メタな議論が成立するのは同時にベタな議論も重要であるということである。

フリーディスカッションでは宇野・濱野・東の若い世代と、浅田・磯崎・宮台のベテラン世代との間の現在の社会状況について認識の差が目立った。
浅田・宮台は90年代に情報革命が起きたとはいえ、社会状況は変わっておらず、社会学の問題もそんなに変わってはいないと言う。
それに対し、濱野・東は社会学の状況が変わっていないことに同意しつ、変わっていなことこそ問題であり、新しく生まれた技術や思考の論理からその状況を打破すべきだと主張した。
前半は認識の差について、宮台VS東の様相を呈した。

ここで、磯崎さんの存在が効いたと思う。
磯崎さんは、ウェブに対する事前的な認識がないにも拘らず、議論の方向性をきわめて明確に示したと思う。
建築においては「切断」を伴うことで、メタフィジカルな「理論」をフィジカルな「建築」に転換するが、バーチャルにおいて「切断」を伴わないならば、それはどのようにリアルやフィジカルに対して影響を持つのかと問う。
そして、「切断」を伴わない「アーキテクチャ」が良い結果をもたらすことができるならば、アーキテクトはもはや不要であると述べた。

このシンポジウムで話されるべきことはこの点であったと思う。
メタな議論やバーチャルな構造がリアルな社会や生活にどう影響するのか、あるいはどう設計を行うことでより良いものとなるのか、その設計は建築や社会設計の方法とどう同じで、どう違うのか。

僕が聞き終えて思ったのは、バーチャルなウェブサービスにもリアルな建築にも「切断」は存在するということである。建築が物理条件により「切断」を伴うのは当然であるが、バーチャルにも物理条件は存在する。
ウェブはインターフェースの性能以上のことはできないし、無限に思えるサーバー容量や情報量も、時間とお金を考えれば、有限である。
むしろ、ウェブは設計者に「切断」を迫る頻度が高い。しかしその為「切断」に対する責任とリスクとコストが、建築に対して軽く、社会設計に対してはさらに軽い。
そのことが、情報技術の恐るべき進化スピードを与えているのであり、社会が驚くほど変わっていない原因であるのではないだろうか。
また、ウェブ上でのコミュニケーションや各種の行為も、僕にとってはフィジカルな行為である。
優れた建築が人にさまざまな経験を与えるのと同じく優れたウェブサービスはさまざまな経験を人にそれを与える。
そこにはバーチャルもリアルもない。

僕としては、今回のシンポジウムで気になっていたコンピュータ・社会学・建築が上手く整理でき、大成功だったと思う。
このシリーズのシンポジウムはぜひ続けて欲しい。