2010年4月13日火曜日

CHAOS*LOUNGE 2010


CHAOS*LOUNGE 2010 in 高橋コレクション日比谷 に4/11に行ってきました。

自分の中で色々とまとまっていませんが、記憶の鮮明なうちに感想を書いておきたいと思います。
実際に行かれていない方には少し分かりにくい内容となるかもしれませんので、レビューと言うより、いち個人の感想として読んでいただければと思います。
狙って行ったわけではないのですが、ちょうど15時からの「カオス*ラウンジ ミーティング――活動報告 」黒瀬陽平 藤城嘘 梅沢和木 助田徹臣 浅子佳英 濱野智史 藤村龍至 村上裕一 李明喜 というトークイベントも聞くことができました。
その上、藤村さんにくっついて打ち上げにも参加させていただけました。

まず、最初に僕が一番印象に残っている作品は梅沢和木さんの「ネオネオエクスデス☆嫁過ⅡDX」(画像はその一部を撮影)です。
トークイベントでも話に挙がっていたのだけど、梅沢さんの作品はメタキャラクター性がずば抜けていたと思う。「エターナルフォース画像コア」のときも感じたことですが、彼の作品はキャラクタ要素が一つ一つの色素(例えばつかさのリボンが黄色)となって描かれていると同時に、その色素一つ一つに「黄色のリボンはつかさ」といったキャラクタ性を同時に併せ持っている。その認識は同時であり、「黄色のリボンはつかさ」という認識と、「つかさのリボンが黄色」という認識は瞬時にループします。
そして、この作品は近づいてみてみると一つ一つの色素にそのループがあり、遠くに離れてみても全体にそのループが漠然と感じられる。視覚的にではなく認識レベルでのフラクタル性とでもいうもの?かもしれない。
作品内にn次的なネットワークの広がりが可視化されていた。


その一方、藤城嘘とポストポッパーズによる「非実在青こなた」はキャラクターこなたをアニメ雑誌の青っぽいページを色素としてくみ上げられた立体作品です。しかし「非実在青こなた」は引いて見てみると完全にこなたであり、寄って見ると、雑誌のページにしか見えない。
しかし、この作品や「つかさをつくろう!(再現)」の場合、こなた・つかさと言ったキャラクタを作るために、見知らぬ人同士がなぜか集まってきたというプロセスがあり、また違った意味があるのだと思うだけど、その事実が可視的に見えないと言う弱さがあった。
それこそが展覧会の切断という問題なのだろうけど。

うーん。ちょっと自分でもよく分からなくなってきた。
直感的過ぎて言語化できていない。
けれども、一番強く感じたのは先に書いた「認識レベルでのフラクタル性、作品内のn次的なネットワークの空間的広がり」。
このワードは自分的には結構しっくりきていて、その感覚を空間的に可視化していたことがカオスラウンジであるのかなと言う感想に至りました。
そして、僕が感じたような感覚が言語化されたときが、新しいコンセプトが生まれる時なのではないかと感じました。

非常に抽象的な文章になり、読みにくいかと思いますが、感想・コメントなどいただければ幸いです。

naoto ishizuka