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2009年7月1日水曜日

ヱヴァンゲリオン新劇場版:破


庵野秀明・総監督 スタジオカラー 2009年
ヱヴァンゲリオン新劇場版の4部作の2作目。
破の名にふさわしく、期待の斜め上を行く展開。
何を書いてもネタバレになってしまう濃密さ。
とにかく見なければならない作品だと思う。
庵野監督は10年をかけて違う選択へとたどり着いた。
私たちの社会は10年前と違う選択を今しているだろうか。
サービス精神てんこ盛りの内容は、深いことを考えなくとも十分に楽しめるエンターテイメントにもなっている。
とにかく見なければならない作品だと思う。
多分もう一度劇場に足を運んでしまうだろう。

2009年6月27日土曜日

ヱヴァンゲリオン新劇場版:序


庵野秀明・総監督 スタジオカラー 2007年
社会現象となったアニメーション作品『新世紀エヴァンゲリオン』の新たなる劇場版。10年を経て新に作られるエヴァの意味とは何か。
エヴァンゲリオンは97年から多くの2次的な物語・言説・作品・商品を生み出し続けてきた。これは、制作を行ったGAINAXがもともと同人的な集団としての出自を持っていること、そして、自らが商品という形で公式な2次創作を積極的に行ってきたことも関係しているだろう。
エヴァはこの10年間のアニメやサブカルチャーなどの多くの分野に対して、大きな引用元としてのデータベースを提供してきた。エヴァンゲリオンがエポックメイキングであったのは、今のデーターベース消費社会のシンボルであったことも、その1要素である。
この新劇場版の制作が、単なる作品のリニューアルとなるのか、新たなオリジナルになりうるのか。
スタジオカラーの創設により自主制作へと戻ってきた庵野監督が、この時代において2次創作でないオリジナルを作りえるのか。データベース消費社会の今後の方向性が、この作品において問われているのではないだろうか。
『ヱヴァンゲリオン新劇場版:破』の公開を前にして、改めて見直してみようと思う。

2009年6月21日日曜日

神山健治の映画は撮ったことがない 映画を撮る方法・試論

神山健治・著 株式会社INFASパブリケーションズ 2009年

この本は神山健治が雑誌・STUDIO VOICEにて行っていた同名の連載に、その補足、著者と中島哲也、著者と押井守の対談を付け加えたものである。

神山健治は主にアニメーション作品を監督している。先のレビューで取り上げた「東のエデン」の他に、「攻殻機動隊STAND ALONE COMPLEX」シリーズや「精霊の守り人」の監督を行っている。

著者は劇場で公開されるような所謂映画は撮ったことがないながらも、20分という短いフォーマットのアニメを80本近く監督してきた。結果として見えてきた映画とは何かということ。その本質と方法論についてこの本は述べている。

よく映画監督と建築家は似ていると称されることがある。また映画と建築も似ていると言われる。この本が一般的な映画監督像について語っているかどうかは議論の余地はあるであろうが、確かに似ているところがあると感じた。LESSON_26の『映画監督とは…』において神山健治はエンターテイメント映画の正体と、監督の個性の獲得にかんするおおぐくりな答えとして6つの要素を挙げている。その5番目を引用すると「映画は総合芸術だといわれるが、総合的であるがゆえに合議的であってはならない。“誰か”の独善的な思想に基づき、コントロールされていなければならない。」(p.80より)とある。
建築家とはまさにそういう存在なのではないかと思う。もちろん社会性やクライアントの要求、様々な条件を建築家が飲み込んで設計を行うように、監督もその能力を兼ね備えていなければならない。しかし、その設計において、要素がいるいらないの判断をし得るのは、建築家であり監督しかありえないのである。

もちろん映画と建築は別のものであり、技術体系はまったく異なる。しかし、あるものを作っていく、しかも多くの人の分業により作っていき、最終的に社会に公開するという部分によって、映画と映画監督はメタファーとして学んでいくべきことは多いと改めて感じた。

多くの参考作品も取り上げられていて、映画の勉強にもなる一冊。
アニメばかりでなく映画も見て行きたいと思わされた。

東のエデン


「東のエデン」は2009年4月9日からフジテレビ系列で11話が放送されたTVアニメである。原作・脚本・監督は神山健治で、制作はプロダクションI.G。キャラクター原案を羽海野チカが担当した。
ストーリーをものすごく簡単に説明すると、主人公は100億円の電子マネーが入った携帯を突然渡され、日本を救うためのゲームに強制参加させられる。プレーヤーはセレソンと呼ばれ、同じく強制的に参加させられたものたちが他に11名いる。100億を使い切ってしまうか、他のセレソンが日本を救ってしまったらゲームオーバーである。
Y-PACラジオVOL.5の中で出てきたのは、作中の東のエデンという携帯サイトについてである。画像認識機能と、その画像に対してのWiki的なタグ付けというサービスが東のエデンのサイトでは行われいる。このシステムはウィキペディアなどのWikiシステム、ニコニコ動画などのタグのシステムに似ている。
このアニメを見ていて思い出したのが、「思想地図 Vol.2 特集・ジェネレーション」の中に収録されている『ゲームプレイ・ワーキング―新しい労働観とパラレル・ワールドの誕生』という鈴木健の文章である。コンピューターの歴史のはじめ200年間は人間が演算素子であったヒューマンコンピューティングの時代があった。現在では問題解決や冗長性を含む問題に対しては人間の並列・集合知が機械的コンピューターより役に立つ。そして、そのような集合知をゲームをやっているような感覚で労働に変換するのがゲームプレイワーキングである、というのがその文章の僕なりの要約である。人間の並列接続によるコンピューター化である。
東のエデンやWikiシステムが行っているのはまさにこれである。しかし、このことがもたらす弊害として、一人ひとりは自分が行った書き込み・投稿・コメント・作業などがどういう結果をもたらしているのかを認識できないことが多い。
東のエデンのラストにおいて、2万人のニートは自分たちの行為(書き込み)がどういう目的に対して行われているかを認識した上で行為を行う。
行為の持つ目的性や達成感の回復を2万人のニートが感じているのかは描かれてはいない。
そして、ニートたちが行った行為が労働と呼びうるのかは分からない。
しかし、神山監督はニートや形骸化する就職活動、強制的な肉体労働(ドバイにて)のエピソードを交えながら、働くということ、労働ということの意味をこの作品で私たちに対して問うているような気がする。

2008年12月20日土曜日

GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊 2.0


「GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊 2.0」は1995年に劇場公開された劇場版アニメ「GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊」の完全リニューアル版である。監督は押井守。
昨日予約していたDVDが届いたので、早速見てみた。

2.0の名が示すとおり、今回のリニューアルはヴァージョンアップと位置づけられている。
うちのDVD鑑賞環境はサラウンド対応していないため、サウンドについては何も言えないが、映像とセリフのヴァージョンアップについては十分に堪能できた。
今回の2.0でもっとも大きい変更は「人形使い」の声優が榊原良子に変更されたことである。
もとのヴァージョンでは家弓家正が演じていた「人形使い」が男性から女性の声に替わったことで、
物語の意味合いは大きく変わったことになる。
文学や映画、音楽などはヴァージョンアップが可能である。
ヴァージョンアップはオリジナル、または旧ヴァージョンとの比較ができて意味があると思う。
いまのネット上にあふれる情報は書き換えが簡単すぎるがために、オリジナルが残らない。
オリジナルを作るということが、今という時代に可能なのだろうかと考えてしまった。

2008年12月19日金曜日

交響詩篇エウレカセブン

交響詩篇エウレカセブンは2005年4月から翌2006年4月までTBS系列で50話放送されたTVアニメである。原作および制作はBONSE。監督は京田知己。基本的なデータはこちらからどうぞ。

ストーリーを簡単に話すと、冴えない毎日を送るレントン少年の家に、ある日ロボットが落ちてくる。
その、ロボットに乗っていたのはエウレカという美少女で…といった感じの話で、よくある「ボーイミーツガール」的なストーリー展開で物語がはじまる。
最終的にはレントンとエウレカを中心にした一般的にいえば狭義のセカイ系のような話に発展してゆく。
しかし、私がこの作品で注目したいのは、「未知のものを受け入れる」という視点である。

詳しくは書かないが、レントンとエウレカはある根本的な違いを持って生まれてきており、レントンはある時それに気づく。
「わからない、知らないものは怖いもの。それはみんな一緒。」と第09話ペーパームーン・シャインでティプトリーが言う。しかし、レントンはエウレカを分かりたいと、知りたいと思う。最終的には、レントンはエウレカとの根本的な、決定的な違いを飛び越えていく。「アイ キャン フライ!」と。

他者はそもそも自分とは違うものであり、多様性を容認することがポストモダンな社会の前提である。
しかし、「わからない、知らないものは怖いもの。それはみんな一緒。」であり、多様なものは相互に交わらず、自らと同じものを求めて固まっていく。あるいは、違うものを排除し、傷つけている。
レントンは、軽々とではなく、泥まみれになりながら、傷つきながら、それでも違いを飛び越していく。

50話を見終わったときに、必ず何かを飛び越したくなる。
交響詩篇エウレカセブンはそういう作品である。

2008年12月18日木曜日

review start!!!

Y-PAC review を新しく始めます!

やろうと言って早数ヶ月放置してしまったので、いろんな人が参加しやすいブログ形式でレビューページを始めたいと思います。

レビューの対象は問いません。


本、映画、CD、DVD、マンガ、建築、展覧会、ライブ、コンサート、演劇、、、


誰か個人のブロガーによる批評ではなく、Y-PACという建築学生の集団がつくるレビューページのカタマリをつくれたらいいなと思います。
Y-PAC weblogとは違った批評空間にしましょう。
とりあえずβ版として書き方は決めずに行きます。
その代わりラベルと呼ばれるジャンルのタグだけはキチンとつけてください。
そこだけよろしく。

ちなみにこの投稿はある程度レビューがたまってきたら消します。説明だから。

それでは諸君、自由に書いてくれ給え!!