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2009年2月8日日曜日

前回Y‐PAC写真講評会

お題「street」について
ストリートに対しての定義を各々の中にあるものでそれを写真にするように集める
その事によりストリートに対する多面的な見方をメンバーで共有できれば、と思い今回のセレクションに参加した
今回の中に見受けられた「street」は
 左右を商業などの要素で飾られた壁面的なもので囲われた構成の、人の通る場所。 
 個人の段階を超える雑多な一面を含む空間。 
 人が流れること、またその人によって作られる場所。
といったようなものが挙がっていた
大半のものは写真から上の様な定義を明確に読み取ることは難しいと思ったが説明を聞いて「なるほど。」と思う
しかし写真だけで感じることができるのは少なかった
どうやらその伝わり方には写真の撮り方に差異があるようだ
写真一枚一枚を撮る時の態度というか心構えというか

大別して下の様に大別できたと思う
 何気なく撮るか
 記録として撮るか
 伝えるために撮るか
これらは性質として次のように異なる
 無意識的に撮ること=写真を撮る際に後で見るとき、誰が見るか、何を残すか等に関しての配慮を全く行わないものであり、読み取り幅が広い。
 記録として撮る=残すものは全体的・具体的なものであり、撮った本人が後で見返すためのもの。
 伝えるために撮る=残すものはその時によって異なり、伝える対象者が存在するため写るものが限定・抽象的になる。

あくまで傾向として思ったことだが
そうした上で今回のstreetに関しては何気・記録的なものが多かったように思う
様々なものを写真にした場合に
「これはstreetとしても読み取れるのではないか」
という後解釈によるものが多く「steet」としての作品としては意識が低かったのではないだろうか

まだまだ伸びしろが多く残っていることを痛感した
カメラを買う以前は意識もしなかったことだが、もしかしたらカメラを買う以前の問題ではないだろうか
写真としての撮り方で見え方によって大きく読み取り方も異なってくることを強く感じた